無職期間が長くなりました

こんにちは。みきおです。

 

なんだかかなり久しぶりのブログ更新になってしまいました;

この間ほとんど何も変わっていない現実。

まさかのコロナ…就職しようとも全く求人のない現実。

初めてこんなに長い期間働くこともなく、収入もない期間がくるとは!

でもどうやっても自分ではどうしようもないので、今までの貯金を切り崩してなんとか次までに食いつなごうと思っています…

 

それにしても辛い。

今年も終わります

こんにちは。みきおです。

半年以上ブログも書かずに何をしていたかといえば…

何もしていない!

結局就活も断念し、なんだかんだと友達の仕事を手伝ったりしながら時間だけを経過させてしましました。これではいかんですぞ。

腎炎のほうはありがたいことに血圧の管理だけすれば大丈夫というお墨付きをいただき、近所のクリニックに戻ってきました。

 

令和元年も終わるというのにこんなんでいいのか!

否!

そう!ダメです。

来年こそは就職します!

気持ちだけは前向きに。嫌なことがたくさんあるので悲しくもなりますがとにかく楽観的に。そして自分を責めない。誰かも責めない。

 

仕事とは何か。会社を退職し思うこと ~Part4~

こんにちは。みきおです。

前回から随分と間が空いてしまいました。その間にあったことを今日は少し記しておきます。

 

再度、就職活動を始めました。一応退職して2ヶ月ですのでまだ生活するだけの蓄えはあるのですが、それを少しでも減らさないように早急に職につければと思いました。ハローワークに久しぶりに行き職業相談もしてきました。また腎炎の定期健診もあり、前回よりかなりいい数値になっていたことにも安堵しました。

 

この期間自分なりに理解したことは、保存期の腎炎を抱えながら正社員になることは難しいという点です。残業をすること(疲労を蓄積すること)はよくない。ただし日本の会社勤務はどうしても残業(または休出)ありきです。約10年ほど前に寛解していた腎炎を再燃させてしまったのは自分の体力の過信が原因でした。2度と再燃させないようにしなくてはいけない。でもそれでは責任を全うすることができない。これはいつも矛盾した心の葛藤です。

 

仕事をするってなんでしょう。ほぼ1日の睡眠を除いた時間の何時間を仕事に費やしているのでしょうか…やるならば責任は持ちたい。気持ちはいつもそうなのに、体がついてこなくなる現実。甘えとみられ続けてきた辛さ。

 

少し、気持ちが沈んでいます。

 

仕事とは何か。会社を退職し思うこと ~Part3~

こんにちは。みきおです。

 

今日はなぜこのブログを書こうと思ったかを少し記したいと思います。

 

私の現在の病名は正確にかくと「紫斑病性腎炎」という「Iga腎炎」とほぼ同じ扱いにされている腎炎になります。紫斑病と一口に言っても特発性血小板減少性紫斑病、血栓性血小板減少性紫斑病、アレルギー性紫斑病(Iga血管炎)と種類があるのですが、私の場合特発性血小板性紫斑病とアレルギー性紫斑病の2種類の紫斑病に罹患してしまい、またそこから腎炎へと進むこととなりました。これは0歳~3歳の間に起きたことで、私が物心ついたときには腎炎(+紫斑病)があったということになります。

今後、幼少期の入院生活や今までの経緯などをこのブログにて書き記せたらいいなと思っているのですが、最近自分のような生活を送っている腎炎歴30~40年の方はいないのだろうかとネットで探してみました。

紫斑病性腎炎、ブログ等で検索をすると大体ひっかかるのは現在この病気に罹ってしまった子供を持つ親御さんのブログになります。この病気自体が子供の罹患率が高いこともありまだSNSなどで発信することが少ないことが原因なのかもしれません。

また私は医師ではないので、今この病気がどのように扱われているか、専門的なことは全く存じあげないのも事実です。

 

私がこのブログで書きたいことはただ1つ、病気になって感じたことをありのままに書く、です。1人の患者が約40年近く何を思って生きてきたか、たった1つの例ですが書くことができれば幸いです。

 

仕事とは何か。会社を退職し思うこと ~Part2~

こんばんは。みきおです。

天気悪い、気圧が変わると体調も悪くなるので困りものですね。

 

さて前回の続きです。

退職願を出させていただき、上司にも体調がすぐれずパフォーマンスも悪くなっていることを告げると簡単に納得していただけました。元々自分は正規雇用ではなかったので、それほどの職場の痛手もなかったのかもしれません。

その後引継のため後任を依頼したのですが結局自分の退社日までに後任の方は来ませんでした。会社というのは基本誰が抜けても回る仕組みにはなっているので、引継をしなくても回ることはわかっていましたが、引継がなくマニュアルだけを作成する指示が飛んできたのは非常に悲しい気持ちになりました。

 

昔から次の日の仕事を眠る前に考えて段取りをし、始業の30分前には出社して今日やらねばならぬことを書き出していました。体が疲労していても社会人になってからどんどん熟睡できないようになり、酷いときは23時に布団に入っても2時間後の1時には目が覚めそこから寝るための工夫などしつつも4時にもう1度眠れるというような日になりました。また眠りが浅いので仕事で失敗するような夢を見るのです。精神がどんどんとすり減るようになってきました。休日はなるべく家で横になり疲労回復に努める。ほとんど自分の生活を送っているとは思えないのです。

 

最終出社日のあと、何もないことに対し恐怖心もありましたが、安堵心のほうが大きかったように思います。

 

今は後悔はないですが、昔は後悔の連続でした。

 

仕事とは何か。会社を退職し思うこと ~Part1~

こんばんは。

みきおです。ずいぶんブログがストップしてしまいました。

仕事がかなり忙しかったことと、落ち着いて考えを整理できなかったことが原因ですね。

そんなこんなでしたが、色々と片付け会社を退職し今無職という生活を送っています。

 

40代で次のことを考えずに仕事を辞めることにはかなり悩みました。

転職先が決まってからでもいいのではないかという葛藤もありました。

それでも幼い頃からの持病である腎炎の数値が悪くなり、日々疲れが抜けていかないのを感じていました。定期健診でもいい数値はでません。それどころか万年の睡眠不足などから血圧の上昇が著しく、酷いときはそれにより眩暈を引き起こすようになっていました。

「疲れた~」

家に着いて最初に口にする言葉が毎度これになりました。

食事も適当に買ってお腹が膨れればいいというようになりました。

腎臓にいいわけないですよね。今はありがたいことに食事制限はありませんが、それに甘んじていてはいけないことくらいわかっています。なんせ腎炎歴35年以上です。

 

そこで決断をしました。

働くことは大切です。生きていくためには絶対にお金が必要なんです。

でもその仕事のために命を削っているような生活は一旦辞めにしないか、と…

 

私は退職願を上司に出しました。

 

 

 

足が痛い!それだけだ。

みきおです。

昨日は仕事から帰宅後何もしたくない・・・からの腹を壊す。

という災難に出会いました。何も悪いことしてないよ~

で、毎日書こうと思ったブログも終わり、今日。

会社の階段で足を踏み外し、足首がぐにゃっとな。

「弊社には湿布や氷などございません」

てな感じで何もなく、近所に薬局もなく、缶コーヒーを買って冷やす始末。

 

骨折はしてないだろう(以前骨折したときは尋常じゃない痛みだった)けど、

まぁ痛いですわ。腫れてるしさ。暑いしさ。

 

木曜ってさ、あと1日いけば休みってことで木曜の夜が好きなんだが、

今日はもうとにかく足も痛いし、疲れが酷いし、腹もまだごろついてるしでとにかく

はよ、寝よう。うん、そうしよう。

 

明日も足が痛かったら・・・病院かな。